技術の進歩というのがなんなのか、というね、今更な話をするわけですけど、いや、最近久々に続きを見たいなと思う大河ドラマが始まって、その中の出来事を見てて思ったんですけどね。
技術の進歩って、ものすごく大雑把に言うと、たいていのことは「世界を狭くする/時間を減らす」ことなんですよね。隣村に行くのに半日かかっていたのが、車があれば五分だし、アメリカに手紙を届けるのに一か月かかっていたのが、スマホがあれば一秒だし、お願いしてから何日も待たなきゃならなかった包丁がいつでも百円ショップの店頭に在庫があるし。そうやって世界が狭くなって、かけなきゃならない時間が不要になっていくと、その空いた時間を別のことに割り当てることができるわけですよね。つまり、明確に生産性が上がっているわけです。だから、一人の人が生み出すことのできる価値の総量が指数関数的に増えていく。それが技術の力なんですよね。
その中でも、通信ってまさに世界を狭くすることに最大に寄与しているわけです。例えばですよ、東欧の某国が、その隣国から攻められそうになってる。いや、ほんとに攻めてくるかわからないけど、国境に兵隊がたくさん並んでる。もし、通信という概念がない世界だったら、目の前の事実だけをもとに判断するしかないじゃないですか。あ、攻めてきそう、やられるまえにやったろ、じゃないですか。そうじゃなきゃ自分が殺されるかもしれないんだもん。じゃあ、通信という概念を導入してみましょう。首都が国境から200km程西にあって、飛脚が手紙を運ぶとしましょう。頑張れば三日くらいで着くのかな? そんなもんだとしましょう。やべ、なんか攻められそう、と手紙を出します。手紙を受け取った偉い人が、まて、戦争になるから手を出すな、という手紙を送り返します。六日。たぶんその間にもう衝突始まってますよね。だって、やらなきゃやられるんだもん。まあ、あらかじめ手を出されるまで絶対手を出すな、なんてことを言い含めてあったとしましょう。じゃあ、首都の偉い人が、今度は相手国の首都に向けて「国境の兵隊、めっちゃこわいんですけど、あれ何?」って手紙を出しましょう。国境から相手の首都までも同じくらいの距離だとすると、片道六日。即日返事を出しても合計十二日。で、国境までの往復六日を足して、半月以上です。目の前で銃構えてる兵隊見ながら半月も過ごせますかね。先に手を出すか逃げ出すか、まあ私なら確実に逃げます(笑)。戦争って大体こうやって始まりますよね。
ってことで、通信を含む技術が発達することにより生み出される時間ってのは、とてつもなく価値があるものなんですよ、っていうことなんですよ。
東京に職場がある会社に出勤するとき、手段が徒歩だけだったら、まあ23区内くらいにしか住めませんよね。それ以上遠くになると通勤はかなり厳しい。でも、自転車や自動車や電車が発明されたおかげで、隣県くらいまでは一時間で行き来できるようになりました。逆に言えば、価値を生み出す可能性のある社員が隣県にいたとしても、その人の価値数時間分を毎日生み出しているわけです、電車とかは。それがたった数百円で乗れるなんてすごい。
例の疫病のおかげで、テレワーク的な物が急に普及しましたよね。実はそれ以前からも可能だったことなんだけど、変化に抵抗して導入できなかったものが、うっかり導入せざるを得なくなった。なんていう後ろ向きな理由だとしても、急速に普及したのは確かです。職場に出勤しなければできない仕事もあるでしょうが、そうでなくてもできる仕事もある。そうでなくてもできる仕事については、テレワークの恩恵はとてつもなく大きいんです。何しろ、通勤2~3時間がゼロになるんですから。新たに毎日数時間分の価値を生み出すことができるようになっているわけです。
それでも、古い価値にしがみつく人たちは、テレワークの欠点をあれこれと指摘しては抵抗します。この大きなチャンスを逃がそうとしています。もちろん、テレワークに欠点があることは否定しませんけど、欠点が問題になる仕事はふつーに出勤すりゃええやん。それよりも、テレワークで生まれた新たな価値時間をどんなふうに使えるか? そちらに知恵を絞ったほうがよほど有益だと思うんですけどね。それが、さらに通信技術の発達を誘発するし、いくつかの欠点も払しょくに向かうはずなんです。
いや、なんでこんな話をいきなり書いてるかというと、いわゆる「アフターコロナ」に向けた議論をどこの会社でもしてると思うんですけど、私の勤める会社では、なんかテレワークは全廃しようぜみたいな頭の悪いことをいうおじいちゃんがたくさんいてですね。ほんともったいない。せっかく生まれた価値の使い方を考えようぜ。技術ってのは、そのためにあるんだから。