モバイルネタ、と言うとだいぶずれた話になるのかもしれないのですが、ネットゲームで、ゲーム内での課金に対するアレルギー反応があるじゃないですか。かくいう私も軽度のアレルギーを感じないでもないのですが、こういった仕組み(商売?)を正当化するとするならどう考えたものだろう、と考えてみるんです。
いや、私も軽度のアレルギーを、と言ったそばからなんですが、その一方で、あれはあれでキチンとした商売、取引、価値の提供だと思うところもあるんです。みんながいう程あくどい商売でもないんじゃないか、と。そんなに目くじら立てなくても、お金や余暇などを支払って楽しんでるならいいジャン、くらいの。
そもそも、ゲーム内課金に対しての反応は、大体、次のようなものになると思います。
・仮想の世界の仮想のアイテムに対してお金を払うってどうよ。
・所詮データ、いくらでも複製できるデータにお金を払うのは馬鹿げている。
・払ったお金に対して得られる価値が少なすぎる。
やっぱり、ゲームの中のアイテムや何らかの便宜に対してお金を払うことそのものに強い抵抗感を感じるところなんですよね。また、複製無限のデジタルデータ、というところに対しても、要するに「原価ゼロ同然」というところからお金を取ることに反発がある、と感じます(私個人は「原価」って考え方は大嫌いなんですけど、それはまた別の話)。
だけどですね、これ、全く別のモノに対しても、全く同じように反感を論じることができるんです。たとえば、有名歌手のコンサートの入場権。
・友達でもなんでもない他人の歌う会場に入って出る権利のためだけにお金を払うってどうよ。
・所詮歌声、歌手が歌いさえすればいくらでも繰り返せる歌声にお金を払うのは馬鹿げている。
・払ったお金に対して得られる価値が少なすぎる。
コンサートなどによく行かれる方などから見れば、こういった反感は実に的を外しているように感じると思います。実際に自分がコンサートに行き、歌手の生の歌声に触れて一体感を感じたその感動を買ったのだ、と考えれば、払ったお金の価値なんて十分元が取れている。
要するに、ネットゲームの課金も同じなんですよ。ゲーム内で強力なアイテムを使うことにより得られた優越感や育ったキャラクターのパラメータを考えれば、払ったお金の価値なんて十分に元が取れていると感じることができるんですよ。単なる価値観の相違。
それでもなぜネットゲームの課金が特にアレルギー反応を起こすのか、と言うと、やっぱり、「所詮ゲーム」という見下した感情がそこかしこにあるように思われます。ゲームなんて興味のない人から見れば「所詮ゲーム」、これは、音楽なんて興味のない人が「所詮音楽」と見下すのと同じです。しかしなぜか、後者に関しては「他人の趣味を蔑むなんて失礼だ」と論されますが、前者はそういう反論を見たことがありません。
また、同じ「ゲーム」であっても、たとえば囲碁に興じて高い囲碁盤を買ってみたり碁会の有料会員になってみたり棋譜集を買ってみたりすることを「馬鹿げている」と貶すところはあまり見ません。もちろん、「たかがデータに過ぎない」パッケージゲームを数千円というお金を出して買うことに対してもそれをあからさまに貶す人はあまりいません。やっぱり同じゲームでもネットゲームはそれが特に顕著であるように思われます。
やっぱり、ネットゲームは、歴史が浅い、ということが一つの原因であるように思います。また、「サーバ上に貯えられたデータの利用権」というようなサービスに対して対価を払う文化が全くないことも。せめて手元に複製があればまだしも、もしサーバが吹っ飛んだりサービス会社が夜逃げしたら全部パア、そんなものにお金を払うなんて、というような感じ方ですね。そもそもよほどのことがないと「所有権なしライセンスのみ」という商品に触れる機会のなかった時代が長く続いた後で、突然オンライン化によってライセンスのみを売る商売が増えまくって、その文化がしっかり根付く間もなく、「たかが娯楽商品」としてのネットゲームも別の形のライセンス商売を始めてしまった、この辺が、商品価値に対してシビアな感覚を持っている人たちの反感を買うことになっているように感じます。案外、ゴルフ会員権なんてものをありがたがって取引していたような人々には、ネットゲームのアイテム課金はすんなりと受け入れられるのかもしれませんね。
という感じでネットゲームでの課金に関しては、「まぁ本人が好きで払ってんだからいいじゃん」の世界だと思ってて。どんな趣味だってそれを頭ごなしにバカにするのはよろしくありません、と突然聖人のようなことを言ってみます。価値の感じ方は人それぞれだし、価値を感じる人がいないのならネトゲのアイテムも売れないしコンサートのチケットも売れないだけ、同じだと思うわけです。
ただし、アレ、あるじゃないですか、なんてーの、くじ引き的な、ガチャとかいうアレ。もちろん、普通の街角のガシャポンだってある意味くじ引きなわけで、それと同じシステムを単にオンラインデータでやってるだけだからいいじゃん、と思わないでもないんですけど、ただ、どうも最近は行き過ぎてますよね。
たとえばね、あれが「どんなものがいくつ入っています」という透明ケースのガチャならまだいいんですけど、何がどんだけ入ってるかわからんのに一番すごそうなアイテムだけ表示して「これが出るかも!」ですからね。さすがに私もあれだけは擁護できない。たとえば、それぞれの人に有限個数のアイテムが入った個別のケースが用意されて、ガチャを回すたびにその中身を一つづつランダムに提供するけど、有限回だけ回して全部開けてみれば全員同じアイテムが手に入ってる、そういうものならまだ納得いくんですけど。まぁ、「くじを引く」という行為の権利そのものを買っているんです、と言われたらしょうがないし、くじ引きの緊張度をアップするためにすごく役立つアイテムが出ることもあるんです、ってのもわからないでもないけど、いくらなんでもブラックボックス過ぎ。運営がいかようにでも確率をいじれるわけですからね。
で、そういったガチャをメインに据えた、ひたすらカードなりアイテムなりを集めるだけのゲームが、ネットゲーム業界の9割くらいを占めていますよね。もちろん集めた結果、対人戦の勝率アップが、とかいう要素もあるんでしょうけど、そんだけ。要するに「面白くない」んです。対人戦にしても単にカードの強さに合わせたサイコロを振っているだけで、勝つために戦術を練ったりする要素がゼロ、加えて、実質勝っても報酬なし負けてもペナルティなし、勝つことに対するインセンティブがなく、ただひたすらガチャを回してすごいカードをゲットして友達に自慢するだけ。そりゃぁ、「その課金に意味があるのかい?」とも言いたくなります。
嗜好としてはビックリマンチョコとかと基本的には同じだと思うし、「ゲットしたカードが実物でなくデータに過ぎないから無意味」なんていうつもりもありません(私はデータだけのカードの所有欲を認める立場です)。ただ、ソーシャルゲームサイトの「ゲーム」っていうとそればっかりじゃないですか。
私も結構なゲーマーで、もちろんグリーとかモバゲーとかもほどほどにたしなむ口なんですけど、まぁそのつまんないこと。新着ゲームっていうリンク開くと一覧すべてがカードコレクションゲームですよ。多少陣取り要素とかのあるものもありますけど、基本的にはゲーム的要素と言うとなんかの数字の合算値の大小だけのランキングがある程度。で、その「なんかの数字」ってのは結局はほぼカードの強さだけで大量に叩き出せるかどうかが決まるようなもの。だから、ひたすらガチャ回して強いカードが出るのを待って、何も操作できないミニゲーム風画面を経由して「数字」をたたき出して累積値に足しこむ、ってだけの作業。まぁ課金してまで遊んだことがないのでそこまでの苦行なのかは定かではありませんが、説明を読む限りはほとんどすべてのコレクション系ゲームはこれですよ。これを「ゲーム」って言い張るんだからすごい。
まぁ遊んでいる本人がそれで満足ならいいんだけど、ガチャケースが真っ黒過ぎってのは厳しいですよね。確率表示が義務付けられてるパチンコの方が何ぼかマシなくらいですよ。まぁおおざっぱに言って、今のソーシャルゲームサイトはお祭りの屋台街、ゲームは屋台の的屋、「まぁそのくらいの遊びなら目くじら立てるまでも無かろう」と見逃されているだけの段階かなぁ、という気がします。
ってことで、私としては、オンラインゲームでのゲーム内課金に関してはさほど否定的ではないけど、単なるくじ引きをゲームと称して大きな商売にしていくのはどうかねぇ、という感じなのです。
※なんて話を書いてたら、コンプガチャ禁止的な話になってみんなやめますって話になってきていますね。公開時期間違えた(笑)。絵合わせがどうとかって話が建前ですけど、最終的な問題はRMT方面ですよね。上に書いた「非所有データの擬似ライセンス状態に価値を認める立場」から言わせていただくと、「そのデータが自分のアカウントにライセンスされている状態」が市場原理で自然に決められた金額で取引されているってことは、仮にそのカードが低額ガチャで得たものであったとしてもそれを取引価格相当の価値とみなすことができるわけで、もしこれを「無形資産」とみなすとすれば、いろんな方面の法令に抵触していく可能性が出てきそうな気がします。まぁ、法的問題云々よりも、そもそも面白くないってのが一番の問題なんですけど。