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2012/4/23 10:00 · ひとりごと

今日もちょっとだらだらと長いです。愚痴です。特にモバイルとか携帯電話とかってことに限定される話でもないんですけど、今の日本のモノづくり、製品開発って、「引き算恐怖症」ともいうべき恐慌状態にあると思うんです。大企業病みたいな慢性疾患というよりは、恐慌状態。パニックで正しい判断ができなくなっている状態。

これは前にも似たようなことを書いたと思うんですけど、何かものを作る、ゼロから作る、って時は、たぶん、今できること x 市場の需要で機能を決めていると思うんですよね。なので、たぶん、最低限のものができあがって、大体他社もほぼ同じようなものを出して、あとはデザインか値段か、そのあたりで勝負になるんでしょうなぁ、という感じなんですよ。

しかし、その後継機を作る、って時に、前身製品機能 + (今できること x 市場の需要)、っていう足し算でものを作っているように思います。ほとんどの場合。たぶん、製品の黎明期から普及期くらいまではこんなやり方でいいと思うんです。どんな製品でも同じで。

たとえば携帯電話でいうと、最初は、簡易なデジタル表示と発信ボタン、着信ボタン、ダイヤルキー12個と電源、これだけで十分だったし、当時はそのくらいしかできなかったからそういう形になっていたと思うんですよね。単に電話をかける、うける、という機能しかなかったわけです。

次に、たしか、発着信履歴メモリと続けて電話帳辺りが追加されたかと思います。当時は、発着信履歴にキー一個、電話帳呼び出しにキー一個、プラスなんか取り消しだかクリアだか、そういうのが足された感じ。あと、ダイヤルキーパッドに英数カナ文字を打つ機能や電話帳を選択する機能が付与されて、一つのキーが複数の役割を負うようになり始めたというイメージ。

その状態が少しの間続いてから、突然いろんな機能が足され始めます。それは、たぶん比較的汎用的なCPUと表示器が安価に手に入るようになったから。先ほどの考え方でいえば「今できること」が急に増えたんでしょうね。で、出来ることに市場の需要を掛け合わせて、いろんな機能が急激に増えて、それに対応するために、発着信履歴や電話帳という単独のキーではなく、十字キー+決定キー+各種ファンクションキー、みたいな形になり、一つのキープッシュが場面場面でさまざまな機能を持つようになります。

厳密にいうと、たとえば、メニュー表示中「下ボタン」を押したときの、メニュー1に合っているカーソルをメニュー2に動かす、という機能と、メニュー2からメニュー3に動かすという機能は、別物なんです。画面上ではカーソルが同じように「下に動く」ってことで済まされますけど、その直後に決定ボタンを押したときに起動する機能が違う、という意味では、メニュー1にカーソルがある状態における下ボタンの機能とメニュー2にカーソルがある状態の下ボタンは別物。なんでこんな話をしているかというと、実際にその状態を理解できない使用者がいるってことなんです。前にもどこかで書きましたが、画面の状態によってキーの役割が変わる、ってことが理解できない。一つのキーは一つの機能、っていう前提までしか理解できない。そんなバカなって思われるでしょうけど、実際に私の肉親に存在する以上、その存在を否定されても困ります。だから特定の機能を呼び出すために「切る→決定→下→下→下→決定→決定→右上ボタン→下→下→決定→決定→下→下→決定」みたいな呪文を本当に丸覚えしているんですよ。まぁそのあとなぜかメール本文はカナキーで画面を見ながらちゃんと打てるという不思議な認知力を見せてはくれるんですけど。

閑話休題。先ほどの、メニューと十字キーファミリーの組み合わせは、実質上ありとあらゆる機能の実装を可能にする大発明です。これがあってからの機能の追加のペースは異常ともいえる状態だったことは記憶に新しいところ。特に「iモード」は、オンラインに格納されたマークアップ言語によって端末交換なしにあらゆる操作の組み合わせを利用者に課す可能性を生んだ、一際複雑な機能だったと言えます。

さて、携帯電話の機能の発展をたどるのが目的ではなくてですね、携帯電話はこうだけど、日本のほかの電化製品とかでもほぼ同じことが繰り返されているんですよね。今、ごく普通の国産TVのリモコンを見たとき、そこにいくつのボタンがあるでしょうか。たぶん10や20ではないと思います。しかも、そのボタンだけですべての機能が実現できるわけではなく、メニュー画面を呼び出して十字キーで操作する、というおなじみの操作で3ケタに及ぶであろう数の機能を呼び出すことができます。正直、買ってから捨てるまでにせいぜい1回か2回しか使わないような機能が半分以上です。

別にいいんですよ、機能たくさん楽しいな、っていう世界があることは。だけど、日本のメーカに関してだけ言うと、その世界しか持っていない。その世界しか提供できない。代がわりによって機能を増やすことしかできないんです。ごくまれな機能削減が大ニュースになりかねないくらい、日本のモノづくりの考え方はひたすらに「足し算」であって、引き算が許されない空気があるんですよ。

多分その空気を作った戦犯の一つを知っています。あれですよ、「機能対応一覧表」。機種を横軸、機能を縦軸に並べて、●/▲/×をつける、アレ。日本人、本当にアレが大好きなんです。アレをやるためだけに、大して変わり映えもしないモデルを複数作ってでかいマトリックス作ってニヤニヤしてるんです。悪意のある書き方なのは本当に申し訳ないけど、私からはどうしてもそうとしか思えないんです。

複数の機種を同じメーカ(携帯ならキャリア)からリリースする以上、売りたいターゲットも使用目的も違うからこそモデルを分けるわけですよね。それぞれのターゲットに求められる機能も違うし、単純な機能よりデザインを優先する場合だってあるはず。だけど、そんな目標も目的も違う機種をいっしょくたにして同じマトリックスに並べることの、ナンセンスさ。黎明期、機能競争時代の化石をいつまでも引っ張ってる思い切りの悪さ。

そうなると、デザインのためにあの機能を削ろう、なんてことができないわけですよ。だって、マトリックスの上で他が「●」なのに一人だけ「×」がつくと目立っちゃうから。本当はいらないとわかっているのに、引き算できない。みんながみんなそう思っているからさらにその考え方を進めるしかない。集団ヒステリー、パニック状態ですよ。「削りたいんだけど技術が無くて削れないんです」とかじゃなくて、集団心理で足し算し続けるしかないというデスマッチですよ。

そうやって何でもかんでも足し算されたものが、「洗練されている」と感じられるかというと、そんなわけないですよね。その過程を経た日本でならそういうものも受け入れられるでしょうけど(みんながちょっとずつ機能を便利に使っているという土壌があるので)、過程を知らない海外で結果のゴテゴテ製品だけが目の前にいきなり現れたら、「なんだこの贅肉だらけのプロダクトは」ってことになりますよ。「機能はすごい、すごいけど、一人がそれら全部必要なわけじゃないのに全部入ってて、非常に高価、そりゃ売れないよね」というのが、日本で腕を磨いた日本企業が携帯電話で海外に打って出た時の反応でした。

特に最近は、万能入力装置のおかげでソフトウェア上で実現する「今できること」が増えまくっています。それが、ソフトウェアの詰め込み過ぎによるレスポンスの悪さなどを生んでいても、「+ 今できること x 市場の需要」の法則でひたすら足す方向で、引くことができないんです。

でも引き算はしないけどバリエーションは欲しい、っていう需要があるじゃないですか。あれに関して、本当に小手先というか小賢しいというかばかばかしい方法で解決してるんですよ。家電とかとくに顕著ですけど、全く同じ外観で、型番の数字が少し小さくていくつか機能が無いけどちょっと安いですよ、っていう機種、あるじゃないですか。あれって、基本は最初に最上位機種を作って、それに対して「機能マスク」してるだけなんですよ。決して機能を引き算したわけじゃない。機能を引き算するのは結構なコストがかかるんです。だから、削除ではなくマスクで済ませちゃう。マスクした結果いらなくなったデバイスを取り外して空いた穴に紙粘土か味噌でも詰めてるんです。メモリ上はそっくりそのまま最上位機種相当の機能が居座ってて、単に動かないようにされてるだけだから、低機能の下位機種でも無駄にもっさりなんです。

基本的には「今できること」が減ることはほとんどない(けど、時々、部品調達の問題やネットワーク機能の廃止などで減ることも)ですが、「市場の需要」がしぼむことは十分にあります。だから、すべての機能について毎回その製品がターゲットとする市場の需要を再精査して一定以下の需要になったら消す、ということをルーチンワークとして出来なきゃダメなんですが、とにかく機能が多すぎるためにその機能ごとの需要再精査という作業にコストがかかりすぎて、わざわざコストかけて調べるより、とりあえず入れていらなそうな層向けにはマスクだけで済ますという結論にしておけば誰も困らないよね、という玉虫色な判断をしてしまっているのが日本のメーカだと思うんです。

あとは、メーカ内の縄張り争いですよね。ある部門が●●機能を頑張って作って(下請けに作らせて)、そのサポートに毎年いくらか払ってる、みたいな状態にあるとき、「●●機能いらないよね」と誰かが言い出したら、下請けとの関係とかいろんなしがらみを持っている開発部門の人が何とかサポート料の支払い予算を確保しようと「いやそのコードを外そうとするとどこそこのモジュールを全部書き直しになるからすっごいコストですよ、10年分のサポート料より高いですよ、削るのやめましょう」みたいに足を引っ張るんですよ。もちろん妄想です。

そもそも削ることに価値を見出すという価値観が1ミリもないから、こういう「とりあえず引っ張っちゃえ」という考え方が横行するわけです。大前提、誰もそれを検証さえしようとしない【原理】【原典】すなわち「無いことは不満につながるけど有ることでは誰も困らない」っていう思想があるように思うんです、特に日本のメーカには。仮にそういう検討をしたとしても、「この機能を削ると全体の操作反応が1ミリ秒縮みます」とか評価して、「はぁ?1ミリ秒なんて体感できるわけねーだろ、コストかけてまで削る必要なし!」ってなるんですよ。一方で機能を追加するときは「よし、あって困るもんでもないから、OK!」で追加するわけで、そんな機能が100個あったら操作レスポンスは100ミリ秒、0.1秒ずつ遅れることになるんですよ。さすがに、操作の反応が0.1秒遅れたら、いらっとしますよね。ガラスマとバカにされる国産スマートフォンは全部これ。1ミリ秒をコツコツと足して体感を悪くし、1ミリ秒を削ることを怠ってそれを未来に積み重ねてる。

「足すことに価値があるなら削ることにも価値があるかもしれない」と言うような角度を変えた価値観の検討ってのは普通はやると思うんですよ。牛丼だって、ごはんと具の量を増やせば増やすほど喜ばれるはず、と思ってたら、案外、少ない方が良いという需要があったりするわけじゃないですか。そんなに食べられないけど残すのはみっともない、恥ずかしい、と思うような人にウケたわけじゃないですか、ほとんど変わらないような価格でも。ところが、家電やケータイのメーカは、「機能を足し続けないと追い落とされる」という黎明期の強迫観念に取りつかれてパニック状態に陥ったまま抜け出せず、そういった二面性を検討さえできていないように思うんです。

ってことでようやく本題なんだけど、要するに、国産スマートフォンの、海外製と比べた時の体感レスポンスの悪さは全部この「引き算恐怖症」が原因なんですよ。スマートフォン本体に限らず、それに付属したり追加で配っているメーカ、キャリア謹製の各種アプリも全く同じ。アップデートごとに少しずつ重くなるんです。軽くなったことはただの一度もありません。

ってことで、ここいらで、「なくてもいい」「ないほうがいい」というような価値観を持った思い切りのいいモノづくりを、日本のメーカ・キャリアにお願いしたいな、というわけなんですけど、まぁ、こんなとこで愚痴よろしく書いてても、誰も聞きゃしないだろうなぁ、ってのはわかってるんですよね。だけど、ユーザの多くが「ないほうがいい」という価値観をちょっと大きめの声で主張し始めたら、変わったりしないかなぁ、ということで、駄文公開に至るわけです。そんなわけで、今日の愚痴はこの辺で。

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2012/4/23 10:00 · ひとりごと · 4 comments
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4 Comments to “ニッポンの引き算恐怖症”

  1. N700

    パニック状態が一瞬パナソニック状態に見えた…。

    >画面の状態によってキーの役割が変わる、ってことが理解できない
    僕の親もそうです。ボタンと画面の対応関係を認識するのは難しいんでしょうね。

    個人的には無駄な機能が増えることよりも、それによって設定項目が増えて変更操作が複雑になることが困ります。

    買ったばかりの携帯のメールの着信音を変更したいだけなのに、やたらと項目が多すぎてどれを選択すればいいのか戸惑うことがあります。あるいは、やり方は知っていても変更操作に何ステップも必要で時間がかかることもあります。

    たとえば細かな環境設定はPCにつないで設定して携帯端末での設定変更は最小限にするとか、設定のUIが改良されれば「引き算恐怖症」の処方箋も見つかる気がします。
    いきなり機能を削るのは難しいでしょうから、まずは設定項目の引き算からはじめて欲しいですね。

  2. kimura

    はじめまして。
    毎回楽しく読ませて戴いております。

    今回の記事に感動し、ついコメントしてしまいました。
    この記事は現在のモバイル事情を簡潔に体現していると思います。

    なぜ、世界でも類をみない高い技術力・発展力を持つ我が愛すべき日本の製品が
    海外のみならず国内市場でもガラスマという蔑称に甘んじているのかが納得出来ました。

    私も若輩者ながら身内にてモバイル製品の批評をする場面がありますが、
    そこには「なぜ国産機は売れないのか」についての明確な解はなく
    ただ「余計な機能が多いから」としか説明出来なかったのです。

    メーカー同士のしがらみや「あって困るものではない思想」が原因というところは
    まさに日本ならではの特性であるようで面白いですね。

    今後は無線にゃんさんのおっしゃる通り、国内メーカーが勇気を出して適切な「引き算」をしたシンプルな端末もたくさん製造されることを願うばかりです。

    めざましい発展を遂げたモノづくり大国・日本を支えてきた国内メーカーであれば可能だと思います。

    では、また読み応えのある素晴らしい記事を楽しみにしております。

  3. ty2096

    simple is best.

    大は小を兼ねると世間では言いますが、この言葉は必ずしも正しくないということに最近気づきました。しかし世間の大半は”有って困ることはないのだから、大は小を兼ねる”という言葉に何の疑問も感じていないかと思います。大きくした分は必ず何かが失われているという点を意識できるかどうか。

    今の世の中は何でもかんでも複雑です。電子情報端末に限ったことではありません。全てが複雑です。溢れすぎています。

    しかし少なすぎると、今の豊かさに慣れた人間は不安を感じるでしょう。

    物が溢れている方が嬉しい、という意見の方が多数派である以上、極小主義の少数派は社会に飲み込まれるのは残念なことです。

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